銀行員時代⑪ こうして、「融資統括母店方式」という新たな体制整備と、それに基づく業務運営に密かに自信を得つつも、客観情勢は更に悪化の一途をたどり、ついに来るべきものが来ました。アトランタとダラス両支店の閉鎖方針が固まったのです。両支店サイドでは、現地行員の解雇を見据えた店内説明と条件提示が行われ、同時並行で駐在員中心に撤収準備を進めるという、厳しい状況が続きました。
私のいるNY支店側では、南部両支店のローンポートフォリオ(融資残高)をどうするか、の具体的検討が行われました。ジャパンプレミアム(日系金融機関向け資金供給時の上乗せ金利、つまり貸出原価)は更に高騰しており、そのまま全部、NY支店に移す訳にはゆきません。かといって、他行による肩代わり(他行の新規貸出により自行融資残高を回収すること)も、情勢柄、ままなりません。ついに東京本部にて、邦銀史上初(おそらく)の、融資「ディスカウント売却」の方針が下りました。貸出先の信用状態に応じ、70~90%台などに割引いた価格で、文字どおり融資債権を「売却」する手法で、米銀では以前から当たり前になされていました。東京本部の審査部門・融資部門と、段取りについて協議を始めました。
当初は両支店側に、肩代わり・売却両にらみで現地他行・支店と交渉してもらいましたが、ポートフォリオの軽減は思うように進まず、残る大半については、NY支店側で何とかせざるを得なくなりました。結局、私自身がトレーダーとなって、初のローントレーディング(銀行融資債権・保証の時価売買取引)をやることになり、諸方面に広報して「オークション(電話による売買)」を持ちかけました。
想定される契約内容を予め検討した上で、当日に臨みました。予定時刻になると、現地行やインヴェストメントバンク(米証券会社)から、次々と電話が入ります。東京からはあらかじめ、3行程度の「見積り」をとって事前に本部に諮(はか)れ、と指示されていたので、「買い値(割引率○○%)を教えてくれ」と言うと、あからさまに嘲笑されました。「この場で『売る』、とも言えない人間に、どうして値が出せるんだ。」そのとおり。彼らマーケットで戦っているトレーダー達にとって、論外の申し出なのです。裏で一々決裁を仰ぐ外為ディーラーは、いません。この瞬間、日本は市場経済の国ではなかったのだ、と悟りました。真っ暗闇の中で手を振り、握れた相手と握手するのが、本当の市場取引なのでした。薄ボンヤリと、値が複数、見えている訳がないのです。露骨に脅迫されたことも、一度や二度ではありません。そんな、ヤクザな世界です。
おそらく、私は邦銀駐在員初のローントレーダーだったと思います。 → 次へ → ブログトップ → サイトトップ → 相続・事業承継ブログトップ → 略歴
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