外交官時代⑥
このような文化事業と、日々の情報収集・発信の業務と並行し、自宅では報告書作成を続けていました。どなたが作成したのかも不明な、当地(アブダビ)の金融事情の概要をまとめようとした文書の断片が残っていたので、これをアップデートし、体系化しようというもの(a)と、UAEの国富を推計してみようというもの(b)、の2つです。当時、同国の金融資産状況は、当然ながら対外秘で、その全体像は分かっていませんでした。しかし、おそらくサウジに次ぐ規模であろう、とは想像されました。
そこで、あくまで試算として、石油・ガスが当地で本格的に採掘されるようになって以降、「外債による運用が主体」と噂されていた前提より、外貨収入を複利運用してきたとしたらどうなっているか、を計算してみたのです(b)。この2つの報告書は、当地着任2年目には完成し、本庁に送付しました。
この年、イラクのクウェート侵攻が始まりました。湾岸戦争です。当地駐在の外国人達(移民労働者を除く)は、速やかに域外へ避難しました。当時アブダビに居住しているといわれた、約2千人の日本人の大半も、家族共々、ロンドンや東京などに避難しました。ブリティッシュ・エアウェイズが中東便の運航を停止すると、あっという間に、世界の大手航空会社の旅客機は来なくなりました。最終、当地の日本人は百人程度になりましたが、大使館は開いており、館員と家族は、そのままでした。ついに日本航空も、運航を停止しました。
ある朝出勤すると、武官(自衛隊からの出向者)が、湾岸の地図にコンパスを当てていました。「スカッド(ミサイル)は、届きますね・・・ しかし、命中精度は低いので、多分、大丈夫でしょう」と。温厚無比で、常に泰然自若なこの方の前職は、戦車隊長でした。
一つの事件が発生しました。日本の主だった金融機関が、今後UAEから新規の預金を預からない旨、通告したのです。中央銀行頭取はカンカンで、(融資をしてくれ、でなく)預けたいと言っているのに、預からないとはどういうことだ、と抗議してきました。大使と共に、直ちにアポをとって釈明に向かいました。しかし、邦銀側の真の意図を知らされていた訳でもなく、「遺憾です」としか言いようがありませんでした。
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