メーカー時代⑪
このように忙しい日々を過ごしつつ、自身の「専門職」的役回りに対する疑問も、正直、ありました。社内外には、私を「便利屋」と見る向きもあったと思います。「英語屋さん」、「手続屋さん」、「厄介払い屋さん」・・・ 実際、ややこしい仕事はアイツに、という風潮はあり、「社内に前例のない仕事で自らヘタを打って減点を喰らうより、ヤツにやらせて役員への結果報告だけやっとこう」という流儀も感じました。露骨に「情報取り」よろしく、近づいてくる者も少なくありません。損な役回りであることは、自他共に認めざるを得ませんでした。
少々クサることもありながら、ある日、一つの考えが浮かびました。「これって、『商売』になるんじゃないか?」実際、メーカーに転じてからの業務経験のおそらく半分以上は、転職後間もなく取得した行政書士の資格で、応用できるものでした。そう思いついてからは、突然、日々の仕事が楽しくなり、格段にやりがいを感じながら業務に邁進できるようになりました。一旦は再度の転職も意識していましたが、とりあえず当面はそのまま働くことに考えを変えました。引続き、来る仕事は拒まず、のスタンスを続けます。
改めて思うに、自身に任される仕事の大半は、私の個人責任で行わざるを得ないもので、もっとはっきり言えば、周りは私の仕事の詳細を知る気もありません(前述の詳細な業務マニュアルを残す作業は、その意味でも、欠かせないものでした)。一方で、そういった仕事の多くは、上場企業であれば避けることのできない課題の連続です。そして、会社単体800人、グループ2000人の規模ですと、その種の仕事の多くは、1人でやることになるのです。上場クラスの企業グループの中核業務を次々と一手に経験できるポストというものは、例えば超大企業では望むべくもないものです。せいぜい、数名から十数名のチームの一員として、部分的・断片的な情報と責任に甘んぜざるを得ないでしょう。
こう考えを変えてからは、将来の開業に向け、着々と「インナーマッスル」を鍛えてゆくことにしました。
10年が経ち、退職を申し出ました。前回の転職時と同様、熱心に遺留されましたが、なにせ10年の計です。迷いはありませんでした。
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