銀行員時代②
このような働き方が長続きするはずもなく、失敗もありました。
真夏の、朝から日差しが強く、出勤途中で気を失いそうになった日のことです。朝一番のルーティーンだった、各種通貨の公示レートを入力して全国の支店のモニターに表示する仕事で、ノルウェー・クローネのレートをケタチ(レベチでなく、桁違い)してしまい、外為ディーラーさんに昼近くに指摘されて間違いが判明しました。上司は、叱責でなく、以降同じ間違いをしないための対策を指導してくれました。幸い取引の稀な通貨だったので、大きな損失にはなりませんでした。しかし今にして思えば、入行3年目の新米に、重い責任を負わせてくれたもの、とむしろ感謝しています。諸先輩方は、他にも、折々に様々な形で助けてくださいました。
こんなこともありました。ディーラーのアシスタントが、1,000万スイスフランのデポバンク(受渡し口座銀行)を間違え、別の銀行宛てに送金指示をしてしまったのです。こんな時に事後処理をするのも、私の大事な仕事でした。ケーブルネゴ(当時はテレックスでの依頼・交渉)で毎日毎晩、返金依頼を続けましたが、なかなかすんなりと応じてくれません。結局、10日ほどを要して元に戻せましたが、この間、一晩過ごす毎に当時の金利で100万円相当の追加ペナルティー(懲罰利息)が発生する状況で、正に脂汗ものでした。
体調は依然厳しく、体の節々が痛むので、当時薬局で売っていた「ハイC」の錠剤の大瓶をデスクに置き、ボリボリかじりながら働いていました。結局、あわや36協定違反寸前の状況となり、直後に都内のターミナル支店に異動となりました。正直、当時は人事部を恨みました。しかし、後にメーカーに転職して人事部のマネジャーとなり、従業員の月間時間外管理やメンタルヘルス対応(マニュアルを作って管理者教育をし、要注意者と面談)をすることになるとは、当時は夢にも思いませんでした。今では、自分の体調に配慮しての人事部の恩情だった、と思い直しています。ちなみに私の異動後、為替ディーリングのバックオフィス長席は2人体制に変更になった、と噂に聞きました。
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