銀行員時代③
一転して支店勤務に。しかし、入行店(最初に配属された都区内の郊外店)とは異なり、ターミナル駅の真ん前の、都心店です。信用貸し(無担保融資)も多く、取引層は様々でした。ここで、融資主任を2年間務めました。様々な融資を経験し、尊敬する上司の下で、厳しくも親身にシゴかれました。「事務屋になるな」が口癖の方で、何ごとも根本に立ち返って勉強しろ、と教わりました。ご自身は高卒で、外交(外回りの営業)で体をこわすなど苦労され、その経験を生かして腕利きの融資マンになった方です。支店長の信頼は絶大でした。
前職(外為ディーリングのバックオフィス長)では、体を削りながら働きつつも、歯を食いしばって外為の勉強もしていました。元々、自身がやっていることの基礎構造が理解できないと気が済まないタチで、極めつけのコダワリ人間なので、ここでも(学生時代はアヤフヤだった)民法、特に担保法や債権回収関連の法制と判例をじっくり勉強しました。また、外為を勉強した際に理解が不十分と感じていた簿記も、あわせて基礎から勉強し直しました。ようやく融資マンの駆出し状態となり、最後は、稟議(融資申請書)も書かせてもらえるようになりました。銀行員としてやってゆけそうかな、という気になりました。
入行店で週に1~2回、仕事の後に社費でベルリッツに通い、半年間ドイツ語を勉強する機会を得ながら、出席回数不足で未修了に終わる、という不祥事を起こしました。人事部に始末書を書き、経費を半額、銀行に戻すことになりました。自身の時間管理のいい加減さから出たことで、深く悔やみ、辞めようとも思いました。しかし、大学の先輩諸兄からの温かい眼差しに支えられ、かろうじて務め続けることができました。
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